ホワイトハウスを囲むフェンスと自動車

日ごろホワイトハウスは建物の直前まで近づけるし、その開放感がここワシントンDCを訪れる人々に親近感とこの国の自由を印象付けています。

殉職した人々の中には、近所に老後を静かに暮らしていた消防隊OBも含まれていました。引退しても、人々を助けるのだという使命感と責任感が、彼らを被災地へと駆り立てたようです。

しかし、今回は違いました。ブッシュ大統領がホワイトハウスは安全だというニュース映像の外側は、写真のとおり周りの通りには政府職員の自動車を駐車させて事実上のロードブロックとバリケードの役割を担わせ、ジョギングする市民もこの細い木の臨時に設置されたフェンスから内側には入りにくい環境で守られていたのです。

今回、私はホワイトハウス至近で、かつて咸臨丸でアメリカに渡った、勝海舟をはじめとする日本国親善使節団が2ヶ月に渡って逗留したウィラードインターコンチネンタルホテルに宿泊しましたが、ホワイトハウスに近づくことはできませんでした。

今回、久しぶりの再開を果たしたロブとイズミも、ペンタゴンにアメリカン航空機が激突した時のことを生々しく語ってくれました。ロブが空手道場を経営するヴァージニア州のコロンビアパイクという通りの上を、なぞるように低空で旅客機が飛び去ったかと思うと、DCの方から爆発音と煙が立ち昇ったのだそうです。ロブの奥さんでもあり、私の独協の同期でもあるイズミはDCの商社に勤めているため、ロブは不安に震えたそうです。必ず第二攻撃があると思い、戦々恐々と数日を過ごしたそうです。

夜、食事に出かけるときにこのコロンビアパイクをヴァージニア州に向かったロブの車中から、飛行機の形にぽっかりと穴のあいたペンタゴンの悲惨な姿をはっきりと見ることが出来ました。しかし、その写真を撮ることはとても不謹慎なことのような気がして、撮ることが出来ませんでした。それにしても、テレビ映像では実感がつかめませんでしたが、ペンタゴンの建物の被害状況が、あれほど飛行機そのものの形を呈しているとは、身震いを止めることすらできませんでした。

この夜、私たちの前を横切るストレッチャー・リムジン2台がシークレットサービスの車両に囲まれて、十数台の白バイに先導されて通り過ぎていきました。きっと、あれはその日ワシントンDC入りした小泉総理の隊列であったのだろうと思います。

■ 被災地レポート

1/UNITED WE STAND=団結して立ち上がろう
2/SQUARES=広場(タイムズ&ワシントン)
3/PRAYERS=祈り(献花に訪れる人は絶えない)
4/MEMORIES=想い出(突然いなくなった貴方へ)
5/ONE BLOC TO WTC=ワールドトレードセンターへ1区画
6/ON THE STREETS=マンハッタンの街角で
7/WHITE HOUSE FAR AWAY=遠きホワイトハウス/このページです。

編集後記


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