忘れまじ2001.9.11 世界に何が起きたのか?!…被災地レポート
UNITED WE STAND=団結して立ち上がろう
United We Stand
2001.9.11-いつもなら、午後10時すぐにすべてのクラスが終わり、そのまま帰るのですが、その日に限って台風情報が気になり、オフィスのテレビのスイッチを入れました。
目に飛び込んできたのは、アクション映画の1シーン?
10日ほど後に母と共に訪れるつもりだったニューヨークのワールドトレードセンターのツインタワーにユナイテッド航空とアメリカン航空の旅客機が飛び込んだ。
1981年にアメリカの高校を卒業し、その卒業20周年の同窓会に出席する際に、母を初めてアメリカ大陸に一緒に連れて行くつもりでした。
結局、テロ事件が原因で、私一人で渡米。
太平洋をテロに利用されたユナイテッド航空機で渡りました。とても空席の目立つフライト。ニューヨークに着くとまず目に入ったのがこの星条旗と「結束して我々は立つ」というポスターでした。一瞬、ユナイテッド航空はだいじょうぶです。という意味かと思いましたが、これはすぐ誤解だとわかりました。「我々はテロに屈せず、しっかりと立っているぞ!」という意味。街中にあふれる合い言葉です。
SQUARES=広場(タイムズ&ワシントン)
タイムズスクエア
“Pray for Families & Victims”
「家族と被害者のために祈ろう」
“God Bless America”
「神よアメリカを祝福したまえ」
“Freedom will be Defended”
「自由は守られる」
という幕が星条旗とともに張り出されています。ナスダックの電光掲示板には、
“United We Stand”
「団結して立ち上がろう」
という文字が表示され、すべての店舗のウィンドウにも星条旗とこの言葉が掲げられています。
これまでで最高の舞台「レ・ミゼラブル」
ブロードウェイ・ミュージカルも再開されました。私は平凡な人々が自由を求めて闘ったフランス革命を時代背景として人間の愛と無情を描いたミュージカル「レ・ミゼラブル」を観たいと思いました。
日本のレ・ミゼラブルも今年の春に観たばかり。個人的な友人でミュージカル女優の国分美和さんの最後のステージということでもあり、キャストもマダム役の美和さんをはじめ、岩崎宏美、島田歌穂、森久美子など蒼々たる顔ぶれで素晴らしい舞台でした。
しかし、今回のブロードウェイの舞台は正直、スタンニング!気絶するほど素晴らしいものでした。テロ事件によって、初めて外国からかくも大きな大打撃を本土に直接受けたことは筆舌に尽くせないほど大きな衝撃をアメリカ人に与えました。しかも自由の国アメリカの自由の象徴ニューヨークで、起きました。
自由への危機?!自由を守る闘いを覚悟した彼らが「レ・ミゼラブル」を演じたら、こいうことになるんだっ!観衆も舞台もこんなに一体になれるんだっ!
アメリカ人をアメリカ人ならしめている精神の根底に触れた、感動の一夜でした。
ちなみに言うまでもありませんが、自由の女神はフランス革命で民衆を先導し、その巨大なブロンズ像はフランスからアメリカ合衆国に贈られたものなのです。
ワシントンスクエアの凱旋門にも反旗が・・・・
マンハッタンにはセントラルパークのような巨大な都市公園の他にもいくつも広場があります。この広場をスクエアとよぶのです。もともとはロンドンで四角い広場をスクエア、丸い広場をサーカスとよんでいるのですが、碁盤の目のように整備されているマンハッタンでは広場も必然的に四角いものが多いのです。
今回の被災者への献花は、ここワシントンスクエアにも捧げられていました。今回のテロ事件で行方不明になっている人々の情報もほとんどなく、いまだ数千人の安否が不明な中、家族や友人を探す人々の張り紙や、既に死亡が確認された人々への手紙、テロに対して徹底抗戦を訴えるメッセージ、戦争ではなく平和をと呼びかけるメッセージなど千差万別です。
フェンスの寄せ書きはフィナンシャルセンターで働く人々がワールドトレードセンターで被災した同業者や友人たちに当てたもの。一言一言が胸を打つものばかり。
PRAYERS=祈り(献花に訪れる人は絶えない)
MOURNING=服喪 at ユニオンスクエア
ユニオンスクエアはその名のとおり、まるで民族・宗教を超えた連帯(ユニオン)の中で大きな屋外チャペル、屋外メモリアルとなりました。あらゆる国籍、あらゆる民族、あらゆる宗教の、あらゆる言語で哀悼と平和の祈りが捧げられています。
何千人ものニューヨーク経済を支えるビジネスマンたちが死にました。テロリストにハイジャックされたユナイテッド航空とアメリカン航空の乗員・乗客も死にました。ジェット燃料の燃える高熱から逃げる人々を救助・誘導するために建物に飛び込んでいったニューヨーク市警察、ニューヨーク消防隊の警官、消防隊員も多く死にました。
自由・平等・博愛を理想に掲げる自由の女神像と目と鼻の先で、世界中からアメリカンドリームを夢見て海を渡ってきた多くの移民、難民、そして観光客も死にました。テロリストへの怒りより、永遠の別れに対する惜別の情、哀悼の意、悲しみが圧倒的に空気を支配しています。
RAISE THE SPIRIT=魂を高く掲げよう
魂を高く掲げよう。戦争ではなく、平和の魂を、愛の魂を高く掲げよう。
WAR IS NOT THE ANSWER=戦争は答えではない
戦争は解決策ではない。
ユニオンスクエアには多くの被災者の家族や友人たちが連日のように献花におとずれ、思い出のいっぱいつまった品物や写真をそこに捧げてゆきます。行方不明の人々の顔写真と見つけた人に連絡を乞う文面も多く見受けられました。ユニオンスクエアに行けば何かが判るかもしれない。そんな期待で訪れた人々の姿がいたいたしい・・・・
愛するものを奪われた人々が、戦争ではなく平和を、憎しみではなく愛を求めて祈る捧げものに触れて、「来てよかった。」と思いました。
戦争があまりにも安易に正当化されないように。以外にもこれが、被災地で強く感じた衝撃でした。
REBUILD=建て直そう!
創り直そう。またがんばろう。こんなことにはめげないぞ!愛するものの愛しい思い出に誓って・・・・・
Question/オクラホマの爆破はいったいどの国の仕業だ?
Answer/だれの仕業でもない。アメリカ人ではないけれど同じ人類のティモシーという男がやったことだ。そう、われわれは同じ「世界」に住んでいる。(しかし、テロリスト集団は違う複雑な心境をものがたっている・・・・・
左上に写っているのは折鶴。ユニオンスクエアには千羽鶴が幾つもささげられていました。まるで、広島の「原爆の子の像」のような錯覚を覚えました。
MEMORIES=想い出(突然いなくなった貴方へ)
IN THE MEMORIES=想い出たち
ユユニオンスクエアを囲む低い網のフェンスには被災して亡くなった方々を偲ぶ手紙や写真が貼り付けられていました。中には行方不明者の家族がわずかな希望にすがるように行方を捜す中身のものもありました。
愛するものたちへの哀悼と安らかな眠りを祈る心に、宗教や民族の違いはありません。悲しみが愛へと変わっても、愛が憎しみに変わらないことを私は祈らずにいられませんでしたが、すくなくとも、アメリカにキリスト教信仰がいまだに根付いていることを感じることができて、心が少し安らぎました。
信仰が政治に利用されないように・・・・・信仰が政治を動かすことができるように・・・・・神様の祝福と導きが全ての人々と共にありますように・・・・各国のリーダーたちが上からの智慧で満たされますように・・・・人々の心から憎悪を取り去り、愛で満たしてくれますように・・・・アーメン
BOB-ROB-BOBBY, WE LOVE YOU
BOB, ROB, BOBBY……おそらく彼は多くの友達からそれぞれ3種3用のニックネームでよばれたのでしょう。ボブもロブもボビーもロバートという名前の愛称。上の写真の右の隅の写真がこれです。
YOU ARE OUR LIGHT THAT WILL NEVER GO OUT
君は消えることのない私たちの光だ。
この写真によると、彼は2001年9月11日、ユナイテッド航空175便に搭乗していたようです。まるでアクション映画の一場面かと目を疑った、ツインタワーを突き抜けていくあの2機の航空機のひとつに乗っていて亡くなってしまったのです。
おどけた笑顔が彼の人柄を物語っていて、リアルな現実が私の心の中にも重くのしかかってきます。
アメリカンドリームの象徴=WTC
まさかあのワールドトレードセンター(WTC)が跡形もなく倒壊してしまうなんて・・・・アメリカの歴史は移民の歴史。建国の成り立ちをたどれば、必ず訪れなくてはならないのがエリス島。アメリカ合衆国移民局があった島で、ここを無事通過しなければマンハッタンには上陸できない。
長旅の末の健康状態によって、言語習得状況によってはすぐに上陸許可が下りず、何ヶ月も足止めされることもあった。
エリス島からは目前に広がるマンハッタンの夜景と自由の女神像をただあこがれをもって、見つめるばかり。
21世紀を迎えたいま、このエリス島から一番めにつくのが、このツインタワーだった。移民の力で世界一の経済力を誇り、世界の金融の中心となったニューヨークにとって、自由の女神、エリス島、エンパイアステートビルディング、と並らぶ、現代アメリカ社会の最大の象徴だった。
ONE BLOCK TO WTC=ワールドトレードセンターへ一区画
SMOKE STILL COMES OUT
ここは倒壊したワールドトレードセンターから1ブロック北側の交差点。警備にあたるNYPDの警官の後ろに、煙がわきあがっています。既にあの事件から13日目だというのに、煙はやむ気配すらありません。
あそこに巨大なツインタワーがあったのに、信じがたい現実です。
倒壊の瞬間、このとおりであの惨事を目撃した人々は、こちら側に向かって、必死で非難しましたが、追ってくる瓦礫と土煙にすぐに追いつかれてしまいました。しかし、ジェット燃料の炎に襲い掛かられるよりはるかにましでした。
この周辺でコンビニを営むユダヤ人のおじさんが見せてくれた、瓦礫の山にころがる、ハイジャックされたボーイングの車輪が事故直後の生々しさを伝える。
3つの公権力がひとつのファインダーに
中央の黒い警官服はニューヨーク市警察(NYPD)、その右側の茶色のシェリフのユニフォームがニューヨーク州警察、そして迷彩服が海兵隊員です。自由と民主主義の国アメリカの中心地のほんの一角に銃を携えた3つの公権力が結集している光景は目を疑うばかりです。
ここは冷戦下のモスクワではありません。戒厳令が発動された政治不安の民主化途上国でもありません。ここはニューヨークです。
この通りの西側にはニューヨーク市役所があり、その奥がニューヨーク市警察本部ですが、日ごろは出入りが自由で解放的なこれらの庁舎も身分証明書と明確な目的がなくては、単純な見学では、入れません。
移民が常にいろいろな手続きや相談に訪れるこれら行政機関も、人手が被災地周辺に出尽くしているため、窓口は閉鎖。事実上、機能していない様子でした。
チェンバー通りブロードウェイ以東は通行制限
ブロードウェイから東側、チェンバー通りから南側はロードブロックされて自動車は通行禁止、徒歩による通行も制限されていて、この2人のニューヨーク市警のおまわりさんにパスポートを見せなければ通り抜けることは出来ません。
チェンバー通りの商店はほとんど店じまいしており、通りひとつで人通りも激減。まるでゴーストタウンのようでした。道路にはセメントを砕いたときにでるような白い粉がまだまだ火山灰のように道路を薄く染めています。
決して、物見遊山では通行する雰囲気ではありません。
まちは一見、元気なのに、何かが大きく違っています。こんなニューヨークは私も、もちろん初めてです。一日中、マンハッタンを歩き回ったせいもありますが、言葉に出来ないほどの精神的な疲労感に襲われました。
ON THE STREETS=マンハッタンの街角
今や国民的ヒーロー:ニューヨーク市警と消防本部
通行制限の通りを星条旗を掲げたニューヨーク市消防本部の消防車とニューヨーク市警のパトカーがサイレンも赤色灯も点けずに猛スピードで通り過ぎていきました。いまだ行方不明者数千名。瓦礫の量は世界屈指の高層ビル2棟分以上。多くの同僚隊員たちがいち早く被災地に駆けつけ、ビルの倒壊とともに殉職しました。
殉職した人々の中には、近所に老後を静かに暮らしていた消防隊OBも含まれていました。引退しても、人々を助けるのだという使命感と責任感が、彼らを被災地へと駆り立てたようです。
人々のために自らの生命を犠牲にすることをいとわない、彼らの勇気と誇りに、心の中で拍手を贈りました。
治安がいいとか悪いとか、あたかも犯罪の発生率や検挙率が高いからといって日本の警察の方が優秀であるかのような錯覚は捨て去らなければならないでしょう。人種の坩堝。世界でもっとも治安維持が難しいニューヨーク市警の警官たちが命をかけて闘うのは、何もこれがはじめてではないのですから・・・・・。水と安全はただではないのですね。
移動式の仮設公衆電話が街角に
阪神大震災の時にも、3日後に被災地をボランティアで訪れました。その際にも、通信手段の確保が重要な課題でした。神戸市役所や避難場所にはまず最優先で通信復旧工事と仮設電話の設置が行われましたが、ニューヨークの街角にも写真のような仮設公衆電話が登場しました。
普段は電信電話事業の分割民営化の影響で存在感が薄くなりかけているAT&Tですが、このような迅速な対応は見事だと思います。
アメリカでも携帯電話の普及率が高まってきましたが、仮設電話の利用者もご覧の通り、満杯状態。公衆電話の必要性はすぐには否定できないことも実感しました。
もう少し、電話の利用者サービスが均一化され、料金も下がればいいのですが、これも時代のトレンドなのでしょうか。日本国内の公衆通信回線の維持管理も、そのあるべき姿をしっかりと見据えていかなければなりません。
今はなきWTCを背景にTVニュースの収録
海外メディアのテレビニュースクルーが中継ポイントに選んだのは、ワールドトレードセンターから1キロメートルも離れたところ。ウエストブロードウェイはまっすぐ、WTCに通じているので、この位置から撮影すれば、本来、背景にツインタワーの全貌が映し出されるはずの場所のはず。
どのようなレポートをしているのかは判らないが、メディアですら、被災地にこれ以上は近づくことをはばかる緊張感がここから先にはひろがっていました。
日本から救助ボランティアの派遣を申し出た小泉首相も、この雰囲気を自ら感じていれば、ただただ見守るしかないことがわかったかもしれません。何ができるかを海の対岸で判断することは難しいことですし、アメリカ政府は対外政策の中で、日本に厳しい要求をしてくる可能性も予測できたはずです。このテロ事件の深層をよく理解し、アメリカ合衆国の対外政策をマクロに分析しておくことが先決であったはずです。
WHITE HOUSE FAR AWAY=遠きホワイトハウス
ホワイトハウスを囲むフェンスと自動車
日ごろホワイトハウスは建物の直前まで近づけるし、その開放感がここワシントンDCを訪れる人々に親近感とこの国の自由を印象付けています。
殉職した人々の中には、近所に老後を静かに暮らしていた消防隊OBも含まれていました。引退しても、人々を助けるのだという使命感と責任感が、彼らを被災地へと駆り立てたようです。
しかし、今回は違いました。ブッシュ大統領がホワイトハウスは安全だというニュース映像の外側は、写真のとおり周りの通りには政府職員の自動車を駐車させて事実上のロードブロックとバリケードの役割を担わせ、ジョギングする市民もこの細い木の臨時に設置されたフェンスから内側には入りにくい環境で守られていたのです。
今回、私はホワイトハウス至近で、かつて咸臨丸でアメリカに渡った、勝海舟をはじめとする日本国親善使節団が2ヶ月に渡って逗留したウィラードインターコンチネンタルホテルに宿泊しましたが、ホワイトハウスに近づくことはできませんでした。
今回、久しぶりの再開を果たしたロブとイズミも、ペンタゴンにアメリカン航空機が激突した時のことを生々しく語ってくれました。ロブが空手道場を経営するヴァージニア州のコロンビアパイクという通りの上を、なぞるように低空で旅客機が飛び去ったかと思うと、DCの方から爆発音と煙が立ち昇ったのだそうです。ロブの奥さんでもあり、私の独協の同期でもあるイズミはDCの商社に勤めているため、ロブは不安に震えたそうです。必ず第二攻撃があると思い、戦々恐々と数日を過ごしたそうです。
夜、食事に出かけるときにこのコロンビアパイクをヴァージニア州に向かったロブの車中から、飛行機の形にぽっかりと穴のあいたペンタゴンの悲惨な姿をはっきりと見ることが出来ました。しかし、その写真を撮ることはとても不謹慎なことのような気がして、撮ることが出来ませんでした。それにしても、テレビ映像では実感がつかめませんでしたが、ペンタゴンの建物の被害状況が、あれほど飛行機そのものの形を呈しているとは、身震いを止めることすらできませんでした。
この夜、私たちの前を横切るストレッチャー・リムジン2台がシークレットサービスの車両に囲まれて、十数台の白バイに先導されて通り過ぎていきました。きっと、あれはその日ワシントンDC入りした小泉総理の隊列であったのだろうと思います。